甘い檻


1の11

「で、実は僕……中の意識は、柳井蒼太、なんだ」
「……」
屋上を一陣の風が抜けていった。
「えっと、つまり……」
「まぁ、言動が変だから……中身、他人になっちゃったかと思ったけど。
 でも、本当だったとはね……」
「へ?」
冗談はよしてくれとか言われた時の言い訳を一生懸命考えていた僕にとって、
彼女の反応は拍子抜けする物だった。
「言葉尻とか、全部ひっくるめて変だったから……
 芝居にしても出来過ぎって思ってたし」
「うん……まだ、悪夢の中って可能性も否定してないんだけど……」
「……ほっぺた、つねってあげようか?」
「えっ!?」
急に小倉さんの顔が接近して、ほほにきゅっと痛みが走る。
「どう、目が覚めそう? まだ足りない?」
「えっ、あっ……」
至近距離で見る小倉さんの顔。
思わずうろたえて……僕は尻もちをついてしまった。
「てっ……いたた。おしり打っちゃったよ」
「ふぅ。
 それでも目が覚めないんだから……夢じゃないわよね?」
「うん、そうみたい……」
差し出された、小倉さんの手を取りながら……
僕は改めて、雅美の体に閉じこめられたことを実感していた。

「それで、柳井くん……の体はどうなったの?」
「それは……分からないよ。朝、目が覚めたらもうこの状態だったし」
「自分の家には行ってないの?」
「うん。気にはなるけど……朝はパニクって学校に慌てて来たし」
「じゃあ、帰りには寄ってくの?」
「うん……心配だしね、自分の体。
 雅美が来るくらいなら母さんも怪しまないはずだし」
「……私も、一緒に行ってもいいかな?」
「えっ……?」
小倉さんは少し照れながら、僕の……雅美の顔を覗き込んでいる。
「あ、ほら、ちょっと……どうなってるのか気になるし。
 雅美の意識が入ってるかとか……」
「う、うん……大丈夫だと思うけど……」
雅美なら疑われない、としても……正直一人で行くのはちょっと心細かった。
小倉さんだって同じクラスだ。
別に一緒に様子を見に行ったとしても変ではないだろう。
「じゃあ、放課後……一緒に行きましょう?」
こうして、僕の家に小倉さんも来ることになった。

1の12

「緊張するなぁ」
何とか放課後までこともなく過ごした僕は、小倉さんを誘って帰宅する……
のではなく、お見舞いなんだっけ。
隣にいる小倉さんは、もう体がコチコチで右手と右足が出そうな勢い。
僕だって、小倉さんと並んで下校だから緊張してるんだけど。
「そんな、緊張するモンなの?」
「だって、男子の家に遊びに行くなんて、初めてだし」
「……遊びに行くんじゃなくて、お見舞いなんだけどなぁ。一応」
「そうでした」
ちろっと舌を出す。
僕の記憶が確かなら、小倉さんってクラスの中では……かなり人気が高かったはずなんだけど。
あんまり言い寄られないのだろうか?
それとも、好きな人がいるとか……
もしかして、女の子が好きな人?
雅美は、そういう趣味に走ることはないと思うけど……
「ねぇ、柳井くんって、今日、着替えとかしたんだよね?」
「え、ああ……うん、そうだけど」
考え事をしていたら、不意に話しかけてくる。
「どうだった?」
「どうって……」
「雅美のからだ」
「ぶっ……!」
思わず、吹き出してしまう。
やばい、外でこんな失態をしていては……雅美が「下品な子」になってしまう。
「急に変なこと言うな……言わないでよ」
「でも、興味はあるでしょう? 健全な男子としては」
「そ、それはそうだけど……」
正直、朝はパニックで……おばさんが目を覚ます前に逃げ出すことを考えてたから……
ブラとか見てるはずなんだけど、余りよく思い出せない。
「そんな余裕無かった」
「だって、下着姿、見たんでしょう?
 あ、全部脱いだ?」
「全然。焦ってたから下着替えてないし、体をゆっくり眺める時間なんて」
「あーあ、もったいない。
 女の子になりきる機会なんて、そう無いんだよ?」
「う、うう……そうだけどさぁ……」
なんで、小倉さん……こんな微妙なネタを振るんだ?
「つまらないなぁ。実は柳井くんって……女の子に興味ない人?」
「そんなんじゃないよ、ちゃんと普通に……」
「好きな子、いるんだ?」
「え、んっ!? あ……」
「教えて……くれないかな?」
雅美の……僕の目の前に、傾いだ小倉さんの顔が接近する。
言えるわけがない。
こんなとっさに。
目の前の子を、僕は……意識してますなんて。
「秘密だよ、そんなの」
「えーっ、いいじゃない、ケチ」
「だったら、小倉さんは言えるのかよ?」
「うん、言えるけど……でも、柳井くんが隠すから、わたしもパス」
「あ、ずりー」
「だって、おあいこでしょう?」
言えるって事は……小倉さんにも好きな人がいるんだ。
たぶん……雅美じゃなくて、ちゃんと男の好きな人が。

1の13

気が付くと、僕の家の前だった。
「ふぅ、緊張するなぁ……」
「自分の家なのに?」
「自分の格好じゃないし」
「はいはい、覚悟決めてね」
慎み深く遠慮無く、ゆりねの指がインターホンに伸びる。
ピン、ポーン。
「はい、どなた?」
「あっ、雅美……ですけど」
「雅美ちゃん?」
トトト、と足音がして玄関が開かれた。
「おばさん、今日蒼太が休みだったけど……」
「うん、蒼太……昏睡状態になっちゃって。さっき、お医者さんに診てもらったんだけど……」
「えっ……」
目を覚まさない事は想像していたけど……
事態は予想よりおおごとになっていたらしい。
「上がっていく? たぶん起きないけど……」
「いいんですか?」
「顔を見るくらいなら……あら、そちらの子は?」
「あ、クラスメイトの小倉って言います」
「蒼太と仲のいい子だから、誘ったんです」
「そうなの? あの子も隅に置けないわねぇ……」
ごめん、母さん。
「仲のいい」は思いっきり嘘なんだ……

自分の部屋にはいる。
昨日、寝てから……まだ一日経っていないのに、ずいぶん久しぶりに戻ってきた気がする。
やっぱり、自分の部屋が一番落ち着くなぁ。
そう思いながら、部屋の中を見渡すと……
見慣れたベッドの上に、「僕」が静かに眠っていた。
自分の姿を、こうして見下ろしていると……
自分がまるで死んでしまったかのような気持ちになる。
いや、ある意味……死んでいるのと変わらないのかも……
「本当に……ぐっすり寝てるわね」
「うん……」
「でしょう? 何で目を覚まさないのか……理由が分からないらしいのよ」
「叩いても起きないんですか」
「朝、ずいぶん揺すったんだけどね。寝言も言わないし……」
「……」
この中には、雅美はいない。
じゃあ……雅美は、雅美の意識は、今どうしているのだろう……?
急に不安が広がりだした。

「おじゃましました」
「お母さんによろしく言ってね」
僕らは、僕の家を後にした。
「明日には……入院しちゃうんだ」
「うん……」
「大ごとになっちゃった……ね……」
昏睡状態になると、なかなか回復しない例もあるそうだ。
だから、最初の一ヶ月間、そこで回復するかしないかが決まってしまうらしい。
逆に言えば、その間に、僕が戻れるかどうか。
そうしないと、僕はともかく……雅美の意識は帰る場所を失ってしまう。
もっとも、僕が戻れても、雅美が戻ってくる保証はないのだけど。
でも……少しでも早く戻れば、再会できる気がする……
「ねぇ……ねぇ、柳井くん」
気が付くと、小倉さんの心配そうな顔がそこにあった。
「えっ、ああ……」
「大丈夫だよ、きっと。だから……元気、出して」
「うん……」
雅美の家の前で、僕らは……別れた。
彼女に言える言葉はそれしかないと分かっていたんだけど、
でも、今の僕には……彼女の言葉は、ひどく他人事に聞こえた。

1の14

「ただいまー」
「おかえり。ちょっと、来なさい……雅美」
玄関の前で、記憶を頼りに雅美の言動をシミュレーションする。
その一つ。呼び出し&問いつめ展開。
僕はそのパターンを復習して、記憶にある……和久井家居間に踏み入った。
「なぁに、かぁさん」
「あれ……普通に戻った?」
「え、どうしたの、かぁさん。改まって……」
「だって、朝起こしたとき……『おばさん』って。頭がおかしくなっちゃったのかと……」
「やだなぁ、かぁさん。ちょっと変な夢見て、口が滑っただけじゃない」
我ながら、ちょっと「かぁさん」を連呼しすぎのような気はするが……
どうやら自然にとけ込んでいるらしい。
雅美とおばさんの会話は、幼い頃から始終見ているから、台本はすぐに作れる。
アドリブも割と簡単だった。
「もう、悪ふざけだったらよしてよね。かぁさん、老けたかと思って心配になったじゃない」
「アハハ、かぁさんは若いから大丈夫だよ♪」
「もう……」

「ふぅ……疲れた~」
半日ぶりに雅美の部屋に戻る。
鞄を投げ……そうになるのを止めて椅子に丁寧に置くと、
そのままベッドに大の字になった。
「本当に……雅美になっちゃったんだ……」
知っているのは、小倉さんだけ。
当の雅美の意識はどこに行ったか分からずじまい。
急に……孤独感が襲いかかってくる。
いくら、小倉さんが理解を示してくれていると言っても、
昨日までは、ろくに話したことのない子だ。
やっぱり、気の置けない……話し相手が欲しくなる。
「雅美……どこ行っちゃったんだよ……」
雅美の体はここにある。
自分が、雅美の中にいなければ……こんな不安を感じたりしなかったのだろう。
学校にいたときには感じていた、小倉さんと会話できた楽しさは、
もうすっかり忘れ去っていた。

1の15

「まさみー、お風呂、入りなさい!」
「!」
おばさんの声で目を覚ます。
そして、僕の思考回路は0.5秒で短絡した。
今、な、なんて……
「まさみー、聞こえてるの?」
「は、はーい、お風呂でしょ?」
「上がったら、ご飯なんだから。早くしてね」
「わかった、かぁさん」
雅美ん家の風呂場は一階にあるのは知ってる。
返事をして、風呂場へ急ごうとする。
「あ、待てよ。そういえば……」
雅美の家に来た記憶を紐解くと、
たしか下着は部屋に置いていた気がする。
中学の頃、おばさんが僕に気兼ねしないで洗濯物を部屋に置きに来て……
「みるなっ!!」って言いながらしまっていた記憶。
部屋を見渡すと、記憶にあったクローゼットがそこにあった。

クローゼットに手をかけて、開けようとした段で
僕は金縛りに遭ってしまった。
記憶が確かなら、ここには下着がいっぱい入っているのだ。
しかも女物の。
雅美の。
その当たり前の事実を鑑みるに、どうしても良心の呵責が顔をもたげる。
「いいのか、本当に……人として」、と。
このまま雅美として生きていくなら……
今日みたいに下着を替えずに過ごすのはもっての外だろう。
いつかは替えなきゃいけない。
それが今。
だから、当然、替えの下着を出して風呂に向かわなければ「ならない」
そこに僕の意志の自由はない。
……はずだ。
だけど、そういいながら、心が沸き立つ自分がここにいる。
別に雅美を女性として意識している訳じゃないはずだけど……
でも、女の子だ。
下着がいっぱい。
「……はっ!」
首を振る。いけない、落ち着かなければ。
今の僕には選択肢は一つしかない。
煩悩を振り切って、下着を手にして、風呂に入らなければならない。
そう、風呂に入らなければならないのだ。
「それに比べれば……たいしたことじゃないか」
そう考えると、自分の中の高揚感……煩悩がそっちに移動するのを感じた。
「まさみー、まだなの? 早くしなさい!」
「ごめん、かぁさん。今いくー」
急かされたせいもあって、僕はおもむろにクローゼットを開け、
ブラと下着を取り出すと、
階下へ向かった。

(つづく)
SSindexに戻る
topに戻る

inserted by FC2 system