甘い檻


2の1

「おはよう、小倉さん」
「おはよう。……やっぱり柳井くんなんだ」
僕の呼びかけで判断したのだろう。
彼女はそう返してきた。
「なんか、くすぐったいよ。雅美の姿でそんな呼び方されると」
「そうかな」
「うん、みんなの前だと困るし……ゆりねって呼んで?」
雅美が小倉さんを下の名前で呼び捨てにしてるのは知っていた。
でも、自分がそれをまねるのは……かなり思い切りのいることだ。
とはいえ、そんなことを言ってもいられない。
覚悟を決めて、心の中で深呼吸をして。
「分かったよ、ゆりね」
「ふふ、うん。そんな感じ」
よほどしっくり来たのか、ずいぶんご機嫌な様子だった。
「じゃあ、行こう雅美。ここにいるより、私の練習につきあってよ」
「うん……」

一人で教室に残っているとどんなヘマをしてしまうか分からないから、
相談して、朝はゆりねの朝練を眺めていることに決めたのだ。
ゆりねは吹奏楽部でチューバを担当している。
重い……10kg近いチューバを担いで体育館脇まで移動する。
「ここで練習しないの?」
「うん……だって他のパートもあるし、
 それに外で吹く方が気持ちいいよ」
慣れた手つきでチューバを抱え上げる。
でも、女子としても若干小柄な体格のゆりねが抱え上げると……
見ていてちょっと辛そうだ。
「ねぇ、持とうか?」
「えっ?」
僕の声に一瞬声を失う小倉さん。
考えてみれば……いま、僕も女なんだから、
貸せと言うのも変なのかもしれないけど。
「ほら、僕が持つよ」
「あ、僕じゃなくて『わたし』。
 いくら雅美が言葉遣い乱暴だからって『ボク』はないよ」
「う、うん。おぐ……ゆりね見てると危なっかしくて」
「そ、そう……?」
ちょっと小倉さんの顔に朱が差す。
「ほら、貸して」
強引にチューバを受け取る。
「あ、細いとこは持たないで。周りの太い部分を……
 注意してね。本当に重いから」
「えっ? お、おととととととと……」
それは本当に重いのか、それとも雅美の力が思ったほど無いのか。
思わず前にのめりそうになる。
「こ、こんなに重い物持ってたの?」
「慣れれば、たいしたこと無いよ。
 階段とか危ないから……やっぱりわたしが持つよ」
「大丈夫大丈夫。階段の時は……足下見てて」
いくら姿が女学生とは言っても、一応男は見せておかないと。

2の2

「ふぅ……ごめんね、遅くなっちゃって」
ずいぶん時間をかけて体育館の脇まで来た。
もしかすると、小倉さんが普通に運ぶより
倍近くかかったかもしれない。
「練習時間、減っちゃったかな?」
「ううん、そんなこと無いよ。
 ありがとう」
一緒に持ってきた椅子を広げて、折りたたみの譜面台を立てる。
「ゆりねって、毎朝こんな物運んでるんだ……」
てきぱきと準備をする彼女の横で、
僕は膝に手をついて息を整えていた。
彼女の腕は本当に細いのに……どこにそんな力があるんだろう?
「アハハ、雅美もよく言うけど、ほんと慣れだって
 別に腕だって太くなってないでしょう?」
そう言って二の腕を見せる。
「ほんとだ……ゆりねって腕細いね」
「そうかな?」
小倉さんの腕は……かなり華奢だ。
たぶん……雅美の腕よりも細いだろう。
そう思って見比べる。
「もう、それ……『雅美』に失礼なんじゃない?」
「あ、そっか」
そう言われても、雅美とは気の置けない関係なこともあって
あまりピンと来なかった。

小倉さんは、そんな僕を横目にマウスピースを吹いて調子を確認する。
ぷぅー、ぷぅーっと、
小さなマウスピースだけでも、それなりの音が出る。
「へぇ、それだけで音が出るんだ」
「うん。これだけでも、音階だって出せるんだよ?」
そう言って、ドレミファソラシド~♪と吹いてみせる。
楽器が楽器だけに、ちょっとつらそうだけど、
でも、綺麗に音階が出てる。
「へぇ、すごいね……」
「びっくりした?」
「びっくりって言うか……」
マウスピースは手のひらに隠れるくらいの大きさしかない。
でも、それで音が出るなら……
なんでこんな大きな本体がいるのだろう?
「あ。もしかして、こっちがいらないと思った?」
「いらないって事無いだろうけど……」
なんかものすごく割に合わない気がする。

2の3

マウスピースを巨大な本体にはめ込んで、
「よいしょっと」
軽く足を開き、抱え込むようにチューバを構える。
赤ん坊を抱きかかえるように……
いや、赤ん坊にしては大きすぎるか。
吹き口……マウスピースがちょうど口に当たる格好なわけで、
音の出るホーンの部分は小倉さんの頭より遙かに上に来ている。
改めて、大きな楽器だなぁと感嘆する。
「……」
「ん? どうしたの雅美」
「い、いや……何でもないよ」
照れ隠しに、チューバをいろんな角度から眺め回す。
「こんなに管巻いてるんだ」
金属の管が、吹き口からぐねぐねと巻いて、メカニカルな……
「これって、何?」
「抜き差し管。こうやってピストンを押すと、音階が変わるんだよ」
「ふうん……」
その抜き差し管を経由して、ダイナミックに広がりつつ
ホーンへと続いている。
「たしか、全長は10m近くあるんだったかな?」
「そんなに?」
「だって、低音楽器だもん。それぐらい無いとね」
「そんなものなのかな?」
いくら低音が出るからって……
アルペンホルンでもそんな長くないと思うけど。

「じゃあ、音出すよ?」
「うん……」
少し心配そうに僕……雅美の顔を確認していたみたいだけど、
深く考えずに二つ返事を返す。
小倉さんは軽くため息をついて深呼吸をすると、
マウスピースに口を付けて息を吹き込む。
ぼぉおおおおおおおおおおおおおおっーーーーーー!!
「う、うわぁああ!」
僕はうかつにもホーンの近くにいて、
その横隔膜を揺るがす音響に……思わず尻もちをついてしまった。
「ふふ、びっくりした?」
「こ、こんな音出るんだ」
細身の小倉さんが出した音とは思えない……
「このボディも伊達じゃないでしょ?」
「う、うん……」
そういって目を細めてチューバをなでさする。

2の4

「……」
「ん、なぁに?」
「おぐ……ゆりねって本当にチューバが好きなんだね」
「ふふふ。まぁ、私の分身みたいな物かな?」
初めて見た……小倉さんの一面は、
僕が普段持っていた印象より、ことさら柔らかな物だった。
「でもね」
ゆりねは僕の方をまっすぐ見て続ける。
「チューバより、もっと好きなものがあるんだ」
「チューバより……好きな、物?」
「うん……」
そう言ってじっと、僕を見つめている。
もしかして……当ててみて欲しいのかな?
「それって、食べ物?」
「もう、やだなぁ……そうやってはぐらかす」
すこし怒った表情をしてみせる。
すねたような……でも鋭い、真剣な表情。
「えっ?」
「わたしは、チューバよりも……柳井くんの方が、好き、です。」
思わぬ事を言われて、僕はぽかんと小倉さんを見あげていた。

小倉さんは、すこし顔を赤くしていたけど……
それでも、僕をまっすぐ見つめ続けていた。
「いくら雅美のカッコだからって……
 ずっと黙っていられると恥ずかしいよ」
「う、うん……」
体も頭もパニック状態で、
果たして何から考えていい物やら。
「ねぇ、柳井くんはどう思ってるのかな?」
「え、えっと……」
「わたしの、こと。」
そう、僕は……小倉さんに、目の前の彼女に告白されたんだった。
それは……うれしいことのはずだったんだけど、
なぜか思考が麻痺して、口が動いてくれない。
「びっくりして、答えられない?」
「う、うん……そうかも」
「私も、柳井くんが雅美のカッコの時に言うのは
 ずるいかなって思ったけど……」
そう言って口ごもる。
ずるいって……何がずるいんだろう?
こんなつまらないことに、思考が必死に反応している。
「でも、こういう事、お話しできる機会無かったから」
「そ、そうだね……」
こんなに思ってくれてるなら、
少しぐらい……話す機会を作ってくれてもよかったのにな。
漠然と雅美に恨み言を考えてしまう。
「ごめんね、急にこんな事言って、
 困らせちゃって」
「え、あ……ううん、そう言うんじゃないけど……」
必死に答えなきゃ、答えなきゃ……
そう思うんだけど、二の句が継げない。
「うん、返事はすぐじゃなくてもいいよ。
 待ってるから」
言葉を切ると、照れを隠すようにチューバに口を付ける。

2の5

「ねぇ、雅美。退屈だった?」
「ううん……おもしろかったよ、正直」
片づけながら、そんな話をする。
チューバの音を聞きながら……
僕は必死に自分の気持ちを整理していた。
なぜ、小倉さんに告白されたのに、すぐ答えられなかったのだろう?
今、自分の姿が雅美だったから、
自分にされてる気分じゃなかった?
「あ……」
そこで気が付いた。
今、雅美はいないんだ。
小倉さんは、昨日、
『いまさら、雅美が柳井くんとつきあってるとしても驚かないけど……
 私に隠すことはないでしょう?』
って言った。
もし、僕が彼女につきあってくださいって言って、
つきあい始めれば、
やっぱり、これは雅美に隠れてつきあいだしたことになるのだろう。
彼女の気持ちにすぐ頷けなかったのは、
きっとそんな良心がとがめていたのだ。
雅美が、僕と雅美が元に戻って、ちゃんと普通の生活に戻ったら……
そのときに改めて彼女に打ち明けよう。
そう考えると、急に気持ちがスッキリした。

「おぐ……ゆりね、さっきの話だけど」
「えっ?」
「僕が今、雅美のカッコだからって訳じゃないんだけど、
 もう少し待ってくれないかな?
 元に戻れたら、そのときは、ちゃんと返事するから……」
小倉さんは少しうつむいて……
「うん、ごめんね。私こそこんな時に」
「ううん、うれしかったよ。僕も……」
「僕、も……?」
フライングしそうになってあわてて口を塞ぐ。
「ごめん、『わたし』だっけ。
 あ、ほら、わたしが持つよ。チューバ」
「……うん、お願い」
少しでも彼女の気持ちに答えたくて、僕はチューバに手を伸ばす。
その金属の肌には、まだ小倉さんの体温が残っていた。


(つづく)
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