甘い檻


2の6

「で、雅美。宿題やってきた?」
「宿題?」
二限目の休み時間。
漢文の先生は毎回宿題を出して学生から顰蹙を買っていた。
「その顔は……やってないね?」
「昨日は、ご飯食べてばたんきゅーだったから……」
疲れてとてもそれどころじゃなかった。
しかし、今からじゃ……写したとしてもとても間に合わない。
「ど、どうしよう……」
おろおろする僕に、ゆりねはあきれたように言う。
「ノートは確認した?」
「え……?」
「雅美が……前もってやってる可能性もあるでしょう?」
「そ、それは……」
確かに、漢文は週一の授業だから宿題が出たのは一週間前になる。
つまり僕と入れ替わる前にもう済ませている可能性もあった。
……雅美でなければ。
「無いと思うよ。
 ゆりねだって……雅美の性格は知ってるでしょう?」
「それは……そうだけど。でも、可能性はゼロじゃないし……
 もしかすると、
 雅美はこうなることを知っていて宿題をしているかもしれないよ」
「そうかなぁ……」
確かに説得力はある。
でも……
それでも雅美はやっていないだろうという確信が、僕にはあった。
「とにかく……確認するだけした方が良いんじゃない?
 損はしないんだし」
「……」

そう、ノートを開いて確認するだけ。
損はしないし……大体授業になれば
ノートを開いて書き足していかなければならないのだ。
だけど、なんだろう。
少し違和感……というか罪悪感を感じる。
今までも、ノートを写してはいたのだけど……
実は雅美の書いていたところをあまり見たりしていなかった。
それは、なんか雅美のプライベートを覗くような感じがして……
……いや、それは変だ。
雅美と僕の関係から、ノートの見せ合いで遠慮なんて、それこそあり得ない。
だから、これは……
冷静に考えれば、雅美の情報を検めることで、
何か知ってはいけないことを見てしまう予感が……
どことなくあったのかもしれない。

2の7

「ほら、時間無いよ?」
「あ、ああ……」
僕は覚悟を決めて……いや、少し期待してだったかもしれない。
雅美のノートを開く。
整然と並ぶ雅美の華奢な字。
「どう……?」
「ちょっと待って……」
文字のある一番最後のページを開くと……
「……あれ?」
「どうしたの? あった……?」
ノートの表題を確認してから、少しページをさかのぼる。
「いや、宿題は……無いみたいなんだけど……」
ゆりねは、僕の反応を訝しんでノートをのぞき込んだ。
「あれ? なに……それ?」
「うん……」
最後のページに書かれた図柄。
そこには……なぜか幾何学模様が描かれていた。
「えっと……代幾のノートじゃないよね?」
「うん、前のページまではちゃんと漢文だし」
「代幾の時間にノート忘れて使ったのかな?」
「……」
そうじゃない……というのは何となく分かった。
その模様は、僕も見覚えがあった気がする。
でも、なんだったっけ……?
キーンコーン……
「あ……チャイム」
「しまった……」
そのページに気を取られている間に……
無情にも、休み時間は終わってしまった。

2の8

「では……ここのところを、誰に読んでもらおうかな?」
僕は、ずっと震えながら……授業中を過ごしていた。
結局、宿題は何も出来なかった。
せめて、さっさとゆりねのノートを半分でも写させてもらえれば……
そんなことを考えても後の祭り。
漢文は返り点を打っておかないとすらすら読むことが出来ない。
だから、当てられて読み上げることになると
予習していないのは一発でばれてしまう。
それに難しい漢字、読み方が違う漢字を調べて、
ノートにまとめておかないといけないのだ。
「そうだな、それでは和久井、やってみろ」
ノートが真っ白な以上、もうどうしようもない。
あとは当たらないように、祈るだけ……
「おい、和久井?」
あれ、雅美呼ばれてる……
って、僕かっ!?
「あ、は……はいっ!!」
「どうした、寝てたのか?」
「い、いえ……」
ノートを持って立ち上がったものの、当然宿題はやっていないわけで……

2の9

「……ん?」
斜め前に座っているゆりねが、
ノートを見えるように開けてくれている。
「あ、はい。えっと……
 子曰く、学びて時に之を習う。また説(よろこ)ばしからずや……」
少し離れていて見づらかったけど、でも何とか読める。
(ありがとう、ゆりね……)
ゆりねが先生に分からないように指し示すところを、追って読みあげていく。
もちろん……自分のノートを持ち上げて、ちゃんと読んでるフリして。
「はい、そうだな……ここは雁点、上下点がくるから……」
どうやら、ごまかせたようだった。
ちょっとほっとして、胸をなで下ろす。
「はぁ……」
「おい、まだ座っていいと言ってないぞ。
 この『習』は……どう言う意味か分かるか?」
「え?」
不意の質問に……思わずキョドってしまう。
書き写すどころか、ゆりねの指さす場所を必死に目で追ってただけ。
文章の内容はまるで頭に入っていなかった。
「おーい、ちゃんと訳してきたんだろ? わかるよなー」
先生が教壇を降り、僕の……雅美のノートをのぞき込みに来る。
「ん? ……おい、何も書いて無いじゃないか」
「え、あ……あはは……」
先生は僕の視線に気づき……それを追っていく。
「あっ……」
あわてて、ノートを引くゆりね。
でも、それは裏目に出てしまった。
「おい、小倉。
 おまえか? 見せてたの?」
「……すみません」
「おまえらな……」
にこやかな表情の先生のこめかみに、青筋が浮かび上がる。
「じゃあ、二人とも、
 今日は課題出すから放課後残ってやっていくように」
僕たちは肩を落とす。
「……はい」
「二人だから……通常の三倍な」
「そ、そんな……」

2の10

「ごめん、ゆりね……本当にごめん」
「いいよ、気にしてないから」
とばっちりを受けたというのに、
ゆりねは本当に怒った様子がなかった。
むしろ笑っているような気さえする。
でも、それは……雅美じゃなくて、僕だから
気を遣っているのだろう。
そう思うと、本当に申し訳ない気持ちになる。
「本当に……
 この埋め合わせはきっとするから」
「いいって。それより……」
ゆりねは周囲を見回してから、顔を寄せてくる。
こういうのは、ほんと……慣れない。
「あのさ、柳井くん。
 雅美はそういうあやまり方、しないでしょう?」
「あ……」
そうだった。
雅美が心底申し訳なさそうに謝る事なんて……滅多にないことなのだ。
宿題忘れようが、それで巻き込もうが……
『いや~、ごめん、ごめん!!』
なんて言いながら、
背中をばんばんたたくのが普通の雅美らしい謝り方?だった。
「周囲の人、勘ぐるんじゃない?」
「そっか、そうだよな……」
そう言われると、何か周囲の人間が気にしているように思えて、
余計に体が硬くなる。
「とりあえず、
 次の授業は休んだ方がいいんじゃない?」
「え?」
でも、いくら何でも疑われやすいからって、授業をサボるのは……
「次、体育だよ」
「……あ」
すっかり忘れていた。
クラスの学生が減ってるな……と思ったら、
みんな更衣室に移動しているのだった。
「とりあえず、生理休暇……取っておいた方がいいんじゃない?」
ゆりねは体操着を用意しながら……
そんなことをしれっと言う。
「え、えっと……」
「分かるでしょう?
 あの日だから……休みますって」
「あ、そ、そりゃ……」
分かるには分かるけど……
それを先生に言いに行けって?
「緊張するのは分かるけど、
 授業に出るよりはずっとましじゃない? それに……」
ゆりねが胸を隠すようにしながら、ちょっと意地悪い表情をする。
「わたしの着替え、見たいのかな?」
「え、あ……あは、あはは
 ……休みます、ハイ」

(つづく)
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