甘い檻


3の8

ゆりねの発言の意味が、僕にはしばらく理解できなかった。
「あの魔法陣は処女の血で書かれなければならない。
 現に、柳井君は自分の血で書いてだめだったんでしょう?」
「そうだけど……でも、血で書いてあるから、消せないよ?」
僕の血で、上書きしろとでも言うのだろうか?
「消す必要ない。だって、そんな事しなくても、無効に出来るじゃない」
「無効って……」
少し嫌な予感がした。
ゆりねの低い声が、その回答を紡ぎ出す。
「雅美の、処女を、捨てるの」
「処女……を……」
下腹部がぞくっ……とするのを感じる。
そう。雅美は処女で、だから魔法陣の呪いは成立している。
それなら、雅美が処女でなくなれば……
「でも、どうやって?」
それは、雅美が男に抱かれるって事?
僕の意識のまま、
雅美が誰を好きかも解らないのに?
「本来なら……男に抱かれないといけないんだろうけど……」
不意に、僕の――雅美の下腹部を人差し指がつつっ……と撫でる。
「っ!?」
ゆりねは僕をじっと見つめたまま、
それでも無感情に聞こえる声で続ける。
「自分で破ってみれば? 処女膜」
「そっ……そんなっ……!!」
背筋が冷たくなる。
確かに、呪いを解くのに必要なら……
男に抱かれるくらいなら、そうするべきかも知れない。
でも……僕にそんなことが出来る?
そんな事をする権利なんて……
「怖い?」
「そ、そんなんじゃなくてっ!」
「じゃあ、私が手伝って上げようか? 雅美の処女喪失」
下腹部を押す指に力が込められ、
それでも崩れない無表情さに、
無感情なアンドロイドのような強引さと冷徹さを感じて……
恐怖に硬直していた僕は、次の瞬間、
思いっきりゆりねを突き飛ばしていた。

3の9

「はぁ、はぁ……」
じっとりと背中に脂汗が浮くのを感じながら、硬直して怠さを感じる体を起こす。
「(僕は……いったい……?)」
今、何を考えていたんだろう?
なんで、こんな急に……ゆりねを突き飛ばしてしまったんだろう?
「(……あ!)」
そこで初めて、ゆりねの存在に思考が及び、周囲を見渡す。
……までもなく狭い準備室の中。
ゆりねは僕の膝元で、強かに腰を打ったのかうずくまっていた。
「ご、ごめん! ゆりね……」
痛そうにしているおしりを必死になでさする。
「うっ……ひ、酷いよ、柳井君。急に突き飛ばすなんて」
「……」
どう謝っていいか、全然解らない。
なんで、なんで僕は……
「でも、ごめんね。私も……急にあんな事言っちゃって」
「だけど、ゆりね……一緒に考えてくれたから」
「……」
互いに黙ってしまう。
ゆりねはどう思っていたのだろう?
なんで、あんな過激な言い方をしたのだろう?
「でもね、柳井君。
 たぶん……これしか方法、無いと思うよ?」
それは……そうかも知れない。
他に何か方法があるかも知れないけど……
それは、たとえずっと考えても出てくる答えではないだろう。
「だから……だからね。
 もし、私が協力できることがあったら……」
「……ありがとう。でも、今日は……もう帰るよ」
「柳井君?」
ゆりねが親切に言ってくれているのは解った。
そして、二人とも冷静さを取り戻していることも。
だけど……
だけど、僕はゆりねから距離を置きたくて。
ゆりねの言葉を待たずに準備室を後にした。

3の10

「ふぅ……」
家に帰り着くと……力なくベッドに沈み込んだ。
「疲れた……」
精神的にもそうだけど、
現に体の節々は……その腱がオーバーワークしたように、鈍い疲労を訴えかける。
「それだけ……強く突き飛ばしたんだ」
手のひらを掲げて、軽く開いたり閉じたりしてみる。
雅美の華奢な体……
それを見ていると、罪悪感が胸に去来する。
なぜだろう?
ゆりねに酷いことをしたのに、気持ちは……雅美に対するすまない気持ち。
「雅美、お風呂はいりなさい」
階下からおばさんの声が聞こえる。
「……はーい」
だるさはまだ残っていたけど……
でも、風呂に入ればリラックスできるかも……という考えが後押しして、
僕は部屋を後にした。

「あーあ、ベタベタ……」
制服は、汗を吸って気持ち悪い状態になっていた。
それを脱ぐとちょっとひんやりする。
スカートを脱ぎ、下着を脱ぎ……
そんな慣れた動作の一連をすませて鏡を見ると、つい視線が止まってしまう。
「雅美……」
今日の僕はどうしたんだろう。
雅美と会わなくなって三日経って、
もしかしてホームシックのような寂しさに囚われているのだろうか。
「処女を、捨てろ……か……」
こうして鏡で、生まれたままの雅美の姿を見ていると……
僕がなぜあんなに拒絶したのか、
その理由が分かるような気がした。

処女を失くす、と言うことは雅美の体を傷つけることに相違ない。
僕は、それが嫌なのだ。
雅美のした儀式に、彼女自身どういうつもりがあったのかは解らない。
でも、僕の魂が雅美の体に乗り移ったと言うことは、
雅美は自分の体を僕に預けたと言うこと。
そして、それは僕を信頼している……と言うことに思えた。
だから、傷つけたくない。
雅美が誰を好きであろうとも……それがもし仮に関係ないことだとしても、
僕が彼女の知らない場所で、一方的に傷つける結果にはしたくなかった。
だけど、それならどうすればこの呪いを解くことが出来るのだろう?
雅美を元に戻せるのだろう?
もしかすると、雅美の体を守っていたい、というのは
単なる独りよがりな考えなのかも知れない。
体に傷一つ付けたくないからと言って、雅美の魂を失ってしまったらどうするのだろう?
「雅美……どうしてこんな事したんだよ……」
僕は、それでもどちらかを選択しなければならないのだろうか?
いや、その時は……選ぶ答えはもう分かり切っているのだけど、
でも、今はまだその答えを選ぶ決心が付かない。
もし必要なら、本当に必要なら……男に抱かれる事も、厭うつもりはない。
僕が男に抱かれる不快な気分を味わうのは……
それは嫌だけど、この現状を打破できるなら、たいしたことではないと思う。
だけど、その時に失くしてしまうもの……
それを考えると、身震いがしてしまう。
生まれたままの綺麗な雅美の体を見つめながら、
「なんで……こんなことしたんだよ、雅美……」
だからこそ、僕は大事なあいつに……
忌み事を言わずには居られなかった。

3の11

「ふぅ……」
湯船につかると、それまでバキバキ……と固まっていた体中の筋肉がほぐれる気がする。
それと同時に、さっきまで心に重くのしかかっていた思いが、
湯船のお湯に溶けて流れ出す感覚がする。
いろいろなしがらみから解き放たれた開放感。
「はぁ……」
我ながら、少し色っぽい吐息を漏らして……ふと、下腹部を指で撫でてみる。
「処女、なんだよな……」
ゆりねにさんざん言われたせいで、どうしても意識してしまう。
ゆりねに撫でられたときは、あんなに身の毛のよだつ悪寒を感じたのに、
自分で撫でているときは心地よい。
「身勝手だよな……」
緊張しているときとリラックスしてるときではこうも感じ方が違う物なのだろうか。
それとも……
「いやいや、それはないな」
一瞬頭にひらめいた考えを必死に否定する。
体は雅美でも、所詮僕が僕を撫でているにすぎないのだ。
でも、そうは言っても……自分の物ではないそれに対する興味は止まらない。

薄く……かろうじて柔らかさを感じさせる程度に脂肪が乗った下腹部の向こう。
色の薄い毛が生えそろったその向こうには、
男だったときには障害物が存在していたはずのそこには、何もない。
その事実を確認するだけで、体がかぁっ……とするのが解る。
「……」
その向こう側に。
死角になった場所に、襞が分かれていて、
その奥に処女膜があるのだ。
雅美の……処女性を証明する、魔法陣の契約を成立させる物が。
「はぁっ……」
それは、乱暴に触れてしまえば破れてしまうかも知れない。
でも、破ってしまえば……魔法陣は無力化して、元に戻れるかも知れない。
「(だめだ、雅美の体を傷つけるのは……)」
そんな思いが、高まる感情にふと揺らぎそうになる。
「(痛みがなければ……気持ちいいなら、失くしてしまっても……)」
そんな考えが不意に頭に浮かぶ。
そんな考えを、頭を振って必死に忘れようとする。
「(違う、そんなんじゃ……ないんだ……)」
頑なに守りたい何かが、自分の欲望を引き留めようとする。
でも、そんな考えが消えそうになるほど体が熱くなってきて。
「はぁ……ああっ……」
指が粘性の高い液体を掬って、それを潤滑油にしたまま雅美の敏感な部分をなで上げる。
「(傷つけちゃいけない、傷つけちゃいけない……)」
考えているのはいつの間にかそれだけ。
傷つけなければ大丈夫。
傷つけなければどこに触れても。
傷つけなければ、どんなに感じても……
傷つけなければ、どんなにおかしくなってしまっても……
他のことは……もう、どうでも良くなっていた。
もう、好きだった彼女のことも……
「ああっ……ふあああっ……!!」
首がのけぞって、頭の中が貧血のような……そうでないような白い感覚に支配されていく。
湯船の気だるい抵抗の中、
全身を震わせながら……僕は何かにしがみつきたい衝動に襲われて……
「雅美……」
思考がほとんど止まっていた僕には、
その快楽をもたらす理由すら、気にとめる余裕など無かった。

3の12

「はぁ、なんで……かなぁ……」
湯あたりするまでお湯につかって、
気が付くと、雅美のおばさんに引きずり出されていた。
とてもおばさんの顔を見られない……
これ以上ない、いたたまれない気持ちを味わっていると、
『察したように』、食事は置いてあると告げて二階へ上がってしまった。
「ごめん、雅美。本当に……」
ふらつきながら二階の雅美の部屋に、這うように戻る。
食欲が湧かなくて、結局食事に手を付けなかったのだけど、
もちろん、ふらついていたのはそれだけが理由ではなかった。

「最……………………低っ」
ベッドにどすっと寝そべる。
体に引きずる……気怠い感覚が自分の罪悪感を増長して止まない。
僕は何をしてたんだろう?
湯船の中で。
雅美の体を使って。
ゆりねの厚意を無視してまで、雅美の体に触れられることを拒みながら……
僕は何を。
雅美の体に傷を付けたくない……
それは確かに僕の本心だ。
守っていたい気持ちに偽りはない。
でも、それさえ守れば何をしてもいいのか?
それに……最後の方なんて。
もう夢中で、ぬる付いた潤滑油のようなそれに任せて。
体を傷つけないという誓いも忘れて、指を好きなように……
あんなに激しく!
「ああっ、なんであんな事……するんだよ、僕はっ!」
こんな事して、僕は……雅美に会わせる顔はあるのだろうか?
でも、そうは言っても……確かに油断していたのかも知れないけど。
だけど、止まらなかったのだ。
本当に気持ちよくて。
本当に興奮して。
本当に……愛おしくて。
「……愛おしくて?」
何が愛おしかったんだろう?
手を開き見つめていると……
そのいとおしかった物を撫でていた指に、甘い感触が浮かび上がる。
自分が守りたかった物。
自分に……甘い陶酔を感じさせてくれたもの。
「雅美の……体?」
そんな考えに至って、なおさら自己嫌悪に陥る。
「……最低だ……」
そこで気持ちが沈み込んでしまう。
その先の自分の気持ちを考えずに。

でも、こんな事になるなら、まだゆりねに頼んだ方がいいのかも知れない。
もし、自分が雅美の処女を失くす決意をしたとしても、
冷静に、『それ』を実行できるだろうか?
あんな風に、自分を忘れたりしないで。
あんな惨めな自分を曝してしまうくらいなら、まだゆりねにしてもらった方が雅美だって……
「……いや、違うかな?」
よく分からないけど、違う……気がする。
雅美だったら、どう思うのだろう?
こんな下卑た気持ちに支配されてでも、やっぱり、僕がするべきなのだろうか?
あるいは、ゆりねみたいな第三者にしてもらうべきなのか。
あるいは……雅美が好きなはずの男を捜し出して、初体験をさせてあげるべきなのか……?
「……う~ん……」
僕の体はまだ昏睡状態のまま。
だから、いつまでも悩んでいてはいけないのだろう。
だけど、僕はその答えを選ぶ決心を固めることが出来ずに。
本当は、冷静に考えればそこには一つしか答えがないはずなのに……
罪悪感から逃れるように……意識を深く沈めていた。


(3日目終了、4日目につづく)
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