甘い檻


4の1

「本当に……昨日はごめん」
必死に謝る僕に、ゆりねはチューバの緩やかな旋律でのみ答える。
さっきから、何回同じ事を繰り返しただろう。
結局僕は、朝起きると……
おばさんと顔を合わせるのが苦痛で、家を逃げるように出てしまったし、
ゆりねと学校でどんな顔で会おうかと悩んでいると、
通学途中にゆりねにばったり出くわしてしまうしで、
なし崩し的に、いつも通りの朝の風景になってしまったんだけど……
「……」
チューバの音色に身をゆだね、
あるいは真剣な表情で楽譜をのぞき込むゆりねは、
どんなに注意して観察しても、怒っているのかそうでないのか全然解らなくて。
「本当に……ちょっと、どうかしてたんだ」
必死に言葉を繋がずにはいられなかった。

いや、本当は……昨日ゆりねが言ってた様に、ゆりねが急に過激なことを言い出した訳で。
だから、ちょっとくらいの粗相があったからと言っても、
こんなに必死に謝る必要はないのかも知れない。
でも……
なんかよく分からないけど、
心の中からわき出す不安定な気持ちが……
ゆりねに謝罪の言葉を告げずにはおかない。

「……ねぇ」
もう、10っぺんは謝った頃、
流石にうんざりしたような表情でチューバを離したゆりねが口を開く。
「そんなに……後ろめたいこと、したの?」
少し表情を伺うように、僕の態度を責める。
「えっと、それは……」
「それとも……もう、こうしてお話しするの、嫌になった?」
すこし、背筋がぞくりとする。
僕は、自分の誠意を見せたくて必死に謝っているつもりだったけど……
でも、ゆりねにとっては、厄介払いしているように映っていたのだろうか?
その時の、その冷たさの理由をまだ知り得ずに、
だけど、そんなことを言われるとやっぱり居たたまれない気持ちになる訳で……
「ごめん……」
「……」
朝のまだひんやりした校庭の空気は、
その冷たさを増していくばかりだった。

4の2

「だから、その……」
譜面をぱらぱら……とめくり、
チューバを構えてから、もう一度ゆりねは僕を睨む。
「もう、謝罪はいいから、別の話……してくれないかな?」
「う、うん……」
でも、ゆりねはそんな僕に構わず、チューバに口を付ける。
そんなところが冷たいな、と思いつつ、
でもゆりねの言葉がとぎれたことにほっとしつつ、
でも……
「(何話せばいいんだろう……)」
話題が無いことには変わりがない。
雅美の格好になってから、雅美の家ではあまり行動していないせいもあるし、
昨日はあんな感じで、家に帰ってからはわやくちゃだったし、
テレビを見た訳でもなければ、勉強してた訳ですらない。
そもそも、ゆりねと過ごした時間なんて知れている訳で、
必死に話題なんかさがそう物なら……
「(んっとっと……)」
思わず雅美の話を振りそうになって、
流石の僕もあまりの地雷さに思いとどまる。
だけど、ゆりねのゆったりしたチューバの旋律が、
その音色の緩やかなアタックが、
それでいてせわしなく動くピストンとそれを操る指が、
無言で僕を責めているようで……
「昨日のアレ、痛かったよね?
 僕……わたしも、家に帰ってから体のあちこちが痛くってさ……アハハ」
つい微妙なネタを振ってしまう。
「お風呂入って、もう、体中こちこち……」
「お風呂……入ったんだ」
不意にゆりねがチューバから口を離す。
「ま、当たり前だよね。
 雅美になってからもう……4日目だっけ?」
割と普通の雰囲気を装って……
でも、目が少し好奇心に妖しく光っている気がする。
「えっと……ちゃんと入ってるよ、毎日。
 流石に周りの子に『雅美、臭い~』って言われたら申し訳ないし」
「で、ちゃんと体は洗ってる?
 お湯で流してるだけじゃないよね」
「え、えっと……」
ゆりねは何を期待してこんな事を聞いてくるんだろう?
なんかうすうす解るような、解りたくないような……

4の3

「髪は、ちゃんと洗ってる?」
「う、うん。
 雅美の髪、長くないし……普通に洗ってる」
意外に普通の展開にほっとしたのもつかの間。
「じゃあ、胸は?」
「えっ……」
えっと。
「丁寧に洗ってるかな?」
「う、うん……たぶん、痛くないように……」
「さわってて、気持ちいい?」
「え?」
「だって、そっと……や・さ・し・く・洗うんだよね?」
「う、うん……」
「どんな感じかな?」
ゆりねの手がわきわきする。
思わず体を庇うようにしてしまう。
「もう、そんなに怖がらなくてもいいじゃない」
「ごめん……」
「じゃあ、私で試してみる?」
ゆりねは少し笑って、胸を張るようにする。
「……ちょっ、ゆりね!」
「あはは、ごめん。冗談だよ、学校だし」
周囲を見渡すと、遠くに登校中の学生が見える。
「心臓に悪いなぁ……もう」
「でも、体洗ってて興味湧かないの?」
だけど、話題は変わらない。
少し声を潜めて、ゆりねはそんなことを聞いてくる。
「え、そ、それは……」
「ムネ……だけじゃないよね? 男の子の興奮する場所は」
「こ、興奮……なんて……」
してない、と言ったら嘘になる。
だから、洗うときは……
なるべく気にしないように、いつも手早く終わらせているのだ。
だけど、それって……やっぱり雑に洗った事になるのだろうか?
そう考えると、何とも答えにくい。
「ちゃんと、丁寧に洗ってる?」
「う、うん……」
「どんな風に、かなぁ?」
「そんなの、普通に決まってるじゃん」
「普通……に洗うの?
 男の子と、女の子と、違うんじゃないの?」
「それは……」
ううう。
どう答えたら納得してくれるんだろう……

4の4

「洗ってたら……気持ちよくなったりしないのかな?」
「そ、そんなこと……ないよ!」
一瞬、昨日のことが頭をよぎって、必死に否定する。
「ムキになっちゃって、怪しいなぁ……
 気持ちよくならないの?
 いろんな場所さわってて」
「あ、洗ってるときは!
 別に……気にしてないから……」
洗ってるときは、そう言うことを気にしない。
それは、正直な答えだった。
でも……ちょっと強調しすぎたようで。
「ふぅん……じゃあ、洗い終わったら、気持ちいいのかな?」
「え゛っ……」
ゆりねの鋭い視線に、
昨日の情景を透かし見られた気がして、僕は思わず固まってしまった。
「ぷっ……柳井君、考えてること正直に顔に出るね」
何か言わなくちゃ、ごまかさなくちゃ、
そう思うんだけど、思考が止まって口がぱくぱくする。
「もしかして、湯船に入って……さわったりした?」
答えようとしても、喉が渇いてうまく声が出ない。
「おっぱいと……股間、さわって、するのかな?」
「そ、それは……」
否定したい。
だけど、もう……手遅れのような気がする……
「別に恥ずかしがらなくていいんじゃない?
 男の子だってするんでしょう?
 女の子だって、してるんだから……」
「え?」
ゆりねの言葉に、どうしても肯定を返せなかった僕は、
その時、一瞬浮かんだ疑問を思わず口にしていた。
「もしかして、ま、雅美……も?」
ああ、僕は何を聞いてるんだろう……
彼女の言う事なんて一般論に過ぎないのに。
「う~ん、たぶん、してるんじゃないかなぁ?
 たぶん、好きな人のこと、考えながら」
「好き、な……ひと……」
その時、僕は急に頭の中が冷静になっていた。
それは、『雅美の好きな人』って言葉に反応してた気もするし、
それに……『好きな人のこと、考えながら』するって言うのも引っかかった。
「ねぇ、誰のこと……考えながらしたの?」
「そ、それは……」
その時、ゆりねのこと、と言ってしまえばいいはずだった。
だけど……
「(でも、それって……)」
なんか申し訳ない気がする。
ゆりねのことを考えて、雅美の体を触る。
それって……どっちみち浮気みたいな物じゃないだろうか?
ゆりねにとっても、
雅美にとっても。
そんなこと考えて。
「何も考えてないよ!」
強く主張する。
「ふうん、やっぱりしてたんだ」
「……」
「何も考えずに、ただひたすら快楽を感じながら……さわるんだ?」
「う、うう……」
ずぶずぶと泥沼にはまっていく感覚。
ごめん、雅美……
僕は、結局昨日から謝ってばかりだった。

4の5

「でも、何も考えないって事は……
 やっぱり、見ながらさわる訳?」
そんなへこむ僕を前に容赦なく、
ゆりねはどんどん質問をディープな物に変えていく。
「そ、そんな……見ないよ」
「見たく無いのかな? そんなわけないよね?」
「それは、やっぱり……雅美の体だし……
 罪悪感、感じるから」
「見ちゃダメでも、さわるんだ?」
ゆりねの追求は全く緩みそうにない。
「指、入れてみた?」
「それは……」
「まだだよね? こうしてまだ元に戻ってないし」
「う、うん……」
指でして元に戻るのかは解らないけど、
でも、してないのは確かだった。
「でも、入れてみると気持ちいいよ……きっと」
また、声のトーンが落ちる。
「だって、そんなコトしたら……」
「だって、破るつもりでしょう? どっちみち」
ゆりねの鋭い視線。
「それとも、もしかして柳井君……『自分で破りたかった?』」
「そ、そんなっ!?」

ゆりねはどういうつもりでそう言ったのだろう……?
でも、背筋がぞくっとして……夢中で、必死に否定していた。
「そんなことしなくたって、十分気持ちよかったからっ!
 だから……」
「えっ……」
そして、今度はゆりねが固まる。
「じゅ、十分気持ちよかったって……」
「……」
「まさか……イッちゃった?」
明らかに……今更黙っても遅かった。
「……」
「……ほ、本当にイッちゃったの?」
「……」
真っ赤になりながら……
僕はもう素直にうなずくしかなかった。
「えっと、指入れたんじゃなかったら……外側、だけで?」
「……」
コクリとうなずく。
「いつも……毎日お風呂でさわってたの?」
「ううん、昨日が初めて……」
「初めてなのに?」
「……」
また、コクリとうなずく。
「女の子の……仕方、詳しかったりする?」
「そ、そんなこと……ない……」
そして訪れる沈黙。
僕は恥ずかしくて、怖くて……ゆりねの顔が見られない。
その時、ゆりねはどんな顔で僕を見ていただろう?
どんな気持ちで……恥ずかしがる雅美の顔を見ていたのだろう?
「そう……なんだ……」
何かを悟ったように、ゆりねは体を離しながら、そうつぶやいた。
それが、僕のことを……まるでヘンタイだ、とでも言ったかのように聞こえて。
「ち、ちがうよ!
 そうじゃなくて、僕は……」
「……私、でしょ? 雅美」
彼女の冷たい声は、急激に僕を現実に引き戻した。
「う、うん……私、ただ……夢中で……」
「……」
予鈴が鳴り、周囲の喧噪が静まっていく。
無言で片づけを始めるゆりねに、僕は何も話しかけられなかった。


(つづく)
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