甘い檻



4の10

「雅美、一緒に帰らない?」
放課後、ゆりねは真っ先に僕の所へ来た。
「今日、部活は?」
「放課後は休みの日。だから……ちょっと帰り、寄り道していかない?」
「そっか……」
放課後、どうせ部活があって、その時に決心を固めようと思っていたけど。
たぶん、一緒に帰ってしまっては……決心が鈍ると思う。
だから、もう僕には選択する時間が残されていなくて。
「えっとさ……ちょっと話が、あるんだ」
「話……って、例の魔法陣のこと?」
「うん。ちょっと違うんだけど……いいかな、屋上で」
「……」
きっと、ゆりねは必死に僕の表情を読んでいて……
「うん、わかった」
でも、素直に頷いてくれて。
その一瞬微笑んでくれた表情が……
きっと、最後に彼女が僕に見せてくれる優しい表情だと、
漠然と解っていた。

「で、話って……なにかな?」
「うん……」
少し固いゆりねの表情。
それは少し冷えてきた屋上の風のせいなのか。
それとも、逆光が見せる表情の暗さ故なのか。
「あの魔法陣。
 契約を破棄するのは、雅美の処女膜を失くす……しかないって言ったよね」
「うん……他に方法あるかな?」
「僕もあれからずっと考えたけど……やっぱり無いよね?」
「で、手伝って……欲しい?」
僕は首を振る。
「ううん、ゆりねには感謝してる。
 本当に……他の人には出来ない相談を、色々乗って貰って」
「……」
「でもね、たぶん、これは……僕と雅美の問題なんだ。
 だから、もう……これ以上ゆりねに頼っていてはいけないと思う」
「……別に、私が直接……手伝わなくったっていいんだよ?
 なにも……」
「そうじゃないんだ。
 このまま、ゆりねを頼っていたら、僕の決心が付かないから……」
「……」
ゆりねの表情が凍り付く。
だけど、
僕は……その最後の言葉を。
「だから、もう……返事をしようと思う。
 残念だけど、僕は、僕はゆりねの気持ちには……」

「聞きたくないっ!!」
ゆりねの叫びに、僕の声はかき消されていた。
それでも、
「聞いてくれよ、ゆりね。僕は……」
「どうして?
 約束は、戻ってからだって言ったじゃない!
 何も、今ここで、急いで答えを出さなくてもいいのにっ!」
「……だめなんだよ、もう。今、ゆりねに言わないと。
 これ以上……答えを保留しても……」
「そんな……うれしかったって、言ってくれたのに……」
「……ごめん……」
「元に戻ったら、
 改めて勝負だって言ったのに……」
「えっ……?」

パシ――――――――――――――――――――ンッ!!
「嘘吐きっ!!」
冷たくなっていた、左の頬に痛みを感じて……
僕は空を仰いでいた。
そして、ゆりねははっとした表情で僕を見つめて、
本当に凍り付いたような表情になって。
そのまま、くしゃくしゃな泣き顔で。
「ゆ、ゆりねっ!」
「来ないでっ!!」

背中を向けたゆりねの肩は震えていた。
僕はその肩に触れたくて。
でも、絶対触れないと決めたはずで。
だから、その距離を一ミリも縮められないまま、ゆりねは。
「さよなら……」
小さく、そうつぶやいて、
駆けだして行ってしまった。

4の11

昇降口を抜け、駆けていくゆりねの背中が見える。
校庭の喧噪を遠くに感じながら、
僕はここから始まって、ここで終わってしまった
一連の出来事を思い返さずにはいられなかった。

あの日、目覚めたとき、いきなり雅美になっていて、
それは誰にも言えない。
だから、あのとき、僕はこの世界に一人っきりだった。

でも、ゆりねが居てくれて、ゆりねが協力してくれたから、
僕として接して、雅美として振る舞ってくれたから、
僕は雅美のまま、今日まで過ごして来られたのだ。

彼女が居て、本当に心強かったし、そして楽しかった。
ゆりねの練習に付き合っているときはつかの間でも不安な現実を忘れられたし、
彼女の一面を垣間見ることだって出来た。

そして、授業中だってなんども助け船を出してくれた。
彼女は本当に親身にしてくれたし、
それに、僕だって本当にそんな彼女が好きだったのだ。

少なくとも、ゆりねが告白してくれたあのときまでは。
自分の気持ちの変化に気づいた、あのときまでは。

「なんで……気づいちゃったんだろう……」
そう思う。
気がつかなければ、僕と雅美は親友のままだっただろう。
あるいは、あのとき、
僕がつまらないことにこだわらないで気持ちに答えていれば、
こんな事に気づかなかったかも知れない。
そして、ゆりねときっと……ずっと……

「……いや、そんなことはないか……」
ゆりねの告白を聞いた時点で、
僕の気持ちは……もうすでに決まっていたのだ。
それにもし、僕がゆりねの気持ちに応えたとしても……
その課程は変わったとしても、
それでも、僕の気持ちは、結果は……同じ場所にたどり着いていただろう。

ゆっくりと沈む夕日を見ながら、
頬に突き刺すような風を感じながら、
それでも、
僕は変わらない関係は存在しない、ってことにぼんやり気づいていた。

もしかしたら、ゆりねを傷つけずに済んだかも知れない。
だけど、この寂しい気持ちからは……
きっと逃れられない運命だったんだ。

そして、ただ一つ確かなことは……
ただ一人の理解者だったゆりねを失って、
僕はまた、
本当にひとりぼっちになってしまったことだった。

4の12

だから、夕日が沈む前に。
重い足を引きずって僕は病院に急いだ。
彼女は……いや、『僕』はまだ眠っているはずだった。
だけど、それでも確認せずには居られなかった。
僕が『僕』である事を見失いそうだったから。
この不条理な世界を受け入れさせられてしまいそうだったから。

でも……本当に不条理なのだろうか?
ふと、そんなことを思う。
雅美が、数年前に僕は忘れてしまった魔法陣を引っ張り出してきたことも、
僕を実験台にしてそれを実行してしまったことも、
果たして不自然なことなのだろうか?

僕はなかなか自分の本当の気持ちに気づけなかったけど、
でも、それはもっと簡単な話のような気がする。
なかなかゆりねに会わせてくれなかった理由も、
嘘をついてまで約束をすっぽかした理由も。

その事をちゃんと考えていれば、
僕はもう少し冷静に行動出来たのかもしれない。
雅美のことをもう少しきちんと考えていれば、
そうすれば僕はゆりねをあんなに傷つけることはなかったのかも知れない。

だから、その答えを確かめたかった。
でも、今は……雅美はいない。
『僕』の体の中に居るとしても、目覚めてはくれない。
そもそも、もし彼女がそこにいたとして、
彼女の気持ちに考えが及ばなかった僕は、それを聞く資格があるのだろうか?

だけど、僕には言いたい気持ちがあった。
もし、彼女が目覚めていたら、
もし、彼女がそこにいてくれたら、
何より先に伝えたい気持ちがあったんだ。

4の13

少し暗くなった『僕』の病室。
当たり前だけど、そこで『僕』は静かに眠っていた。
もう、母ちゃんも見舞いから帰ったのだろう。

「『雅美』? そこにいるんだろ? 『雅美』?」
軽く肩を揺する。
でも、ゆったりとした呼吸を繰り返すだけで、
『僕』は目覚めない。

「……」
じっと見ていると……
自分が見ているはずなのに、これは本当に『僕』なのではないかと錯覚しそうになる。
「(だったら、僕は……なに?)」
そんな気持ちになって、いたたまれずに……
ベッドから『僕』の手を出して……そっと握る。
脈を診ると、弱々しくトクントクン……と打っているけど、
でも何の反応も返さない。
ゆすっても、ゆすっても……
全然起きる気配はない。
「起きろよ、起きてくれよ……『雅美』」
何度声を掛けてみても反応はない。
やっぱり、あの契約が無効にならない限り……雅美が、僕の体が目覚めることはないのだろうか?
もう、『雅美』はどこにもいないのでは……
と、ふとそんな悪夢の様な不安が襲いかかる。
目の前の『僕』が目覚めて。
『やあ、雅美。なんか4日間寝てたよ。あははー』
なんて話しかけられようものなら。

「なあ、『雅美』……」
僕は……そこにいるとは分からなかったけど、話しかけずにはいられなかった。
「もうあれから四日たつけど……未だにどうしたらいいかわからなくてさ」
手をぎゅっと握りしめる。
それは、自分の手のはずだったけど、
それを雅美の手で握りしめると、何故か心が落ち着いた。
「でも、今日……ゆりねと喧嘩しちゃった。ごめんな、おまえの親友なのに」
でも、それを今日は言いに来たんじゃない。
「だけど、本当はおまえに謝らなきゃいけないよな。僕は……」

言いかけてやめた。
やっぱり違うんだ。僕は……『僕』に気持ちを伝えたいんじゃない。
だから、目を覚まさない雅美に言ったってダメなんだ。
だから、すべて解決してからじゃなきゃダメなんだ。
ゆりねのことを謝るのも、
気持ちを伝えるのも。
だけど、そのために僕は……雅美の体を傷つけていいのだろうか?
雅美の気持ちも確認しないで……
でも、元に戻らない限り、僕にはもう彼女の気持ちを確認する術はない。
だから、恨まれてでも、もう……するしかないはずだった。
彼女と自分の体が揃った、今、この場所で。

椅子に座り、そっとスカートをまくる。
端から見れば、ずいぶん怖い図になっていただろう。
目覚めぬ男子学生の横で、部屋の照明も付けずにスカートをまくり上げる女学生。
でも、契約を無効にするには、処女膜を破らなければならないのだ。
雅美を目覚めさせるには、雅美の処女膜を――――
痛いかも知れない。
でも、そんな恐怖は些細なことだった。
だけど……
「うっ……」
そこに触れた指の感触は……学校で感じたあの感触と同じだった。
こんな時だというのに……
「……最低だ……」
僕はなぜか、雅美の股間を濡らせてしまっていた。
そんなつもりはなかったけど、
頭の片隅でそんな考えがあったのだろうか?
心がくじけそうになる。
でも、自己嫌悪を感じると同時に、でも、その方が痛くないのかも、と思い直す。
指が局部に触れ、分泌液に少しぬるつきを感じる段になっても、
それでも僕はまだ躊躇していた。
早く契約を解かないと、雅美は二度と目覚めないかも知れない。
それが解っていても、なお。
僕の中にある二つの気持ちが行動を止めていた。
それは……もし本当に雅美に嫌われてしまったらという今更な不安感と、
そして、恥ずかしいことなんだけど、
『それとも、もしかして柳井君……『自分で破りたかった?』』
ゆりねが言ったときは否定したけど、
それでも僕はまだ、出来ることなら……
雅美の初めての時には、僕がしたかったのだ。

4の14

僕はその時は、本当に儀式のことだけに夢中になっていて、
だから、背後で足音がしたときは心臓が数秒止まるくらいに驚いた。
「あら? 誰か居るの?」
不意に掛けられた声に僕は慌ててスカートから手を引き抜いた。
パチン、と背後で音がして、
部屋の中がまばゆい光で満たされる。
振り向くと、看護婦がドアから入って来るところだった。
「どうしたの? 電気も付けないで……寝てた?」
「すみません、ちょっとぼおっとしてて……」
気がつくと、すでに日は完全に落ちていて……窓の外は真っ暗だった。
「そう? そろそろ面会時間、終わるわよ?」
カーテンを手際よく閉めながら、僕にそう告げる。
時計を見ると、確かに残り時間はそんなに無かった。
それに……看護婦が掃除をすませる間に完全に時間が過ぎてしまうだろう。
今日の機会は……完全に逸してしまっていた。
「それじゃ、私、そろそろ帰ります」
少し後ろ髪を引かれる気持ちだったけれど、
こっそり、汚れた指をティッシュでぬぐって、
「そう。もう外暗いから……気をつけてね」
「はい。それでは、あと……お願いします」
「ええ、任せて」
僕は病室を後にした。

4の15

結局、今日は何も出来なかった。
もっとも、あんな事があって……
流石に決意をするのは無理があったけど、
明日からはゆりねに頼ることも出来ない。
僕は一人で……この怪現象の幕引きをする決意は出来るのだろうか?
でも。
でも、だからこそ……しなくてはいけない。
僕の意識が、この世界に屈する前に。
雅美の意識を取り戻すために。
「……」
不安を感じて、ぎゅっと目を閉じる。
会いたい、
雅美に会いたい。
雅美にあって……自分の気持ちを打ち明けたい。
そして、出来ることなら。
雅美の気持ちが……僕に向いているなら。
雅美の初めては叶わないにしても……繋がりたい。
「……」
少し虫のいい想像をしてしまって……胸がかあっと熱くなる。
だけど。それでも。
自分の体を取り戻して……この体と相対したら、
今のままでは叶わないことを。
自分のまま……抱きしめたいのだ。
だから、
「明日は……きっと……」
ほんの少しの期待を抱きしめて、
大きな黒い不安に押しつぶされるように、
強く目を閉じたまま、
僕の意識は、いつの間にか眠りに落ちていった。


(4日目終了、5日目につづく)
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