甘い檻



5の1

「あ……」
白い天井。
まぶしい天井。
それは見覚えはあったけど……初めて見上げる天井。
「あれ、ここは……」
数日前に体験した妙な感覚。
だけど、ここは雅美の部屋ではなくて……
「……あれ? 柳井さん……目が覚めた?」
まぶしい朝日に目が慣れると、
カーテンを開けていた看護婦さんが、驚いて……僕を見つめていた。

「え、えっと……ここは?」
昨日見た光景だから、
昨日見た看護婦さんだからだいたい判るんだけど……
聞かずにはいられなかった。
「病院よ。
 あなたは……入院してからずっと眠っていたの」
「そうですか……」
鏡を見ていないから実感出来ないけど、
今、きっと僕は……自分の、『蒼太の』体に戻ったのか。
確認したいけど……
でも、ちょっと胸を見るのもためらわれて。
すると。
「ちょっと待ってて。先生……呼んでくるから」
看護婦さんは慌てて病室を駆けだしていく。

「……」
僕は、自分の胸に手を置いた。
「無い、やっぱり……」
そこにあるのは柔らかい……雅美の胸ではなくて、
硬い、ごつごつした男の、『蒼太の』胸板。
だけど、それだけではちょっと確信が持てなくて。
パジャマのズボンとパンツをめくる。
「……」
そこには懐かしい僕のイチモツが。
「そっか……男に、僕の体に戻ったんだ……」
少しの安堵と……
でも、ちょっぴり、寂しさも感じていた。

5の2

「検査したところ……異常はありませんね」
母親が呼ばれ、僕と彼女の前で。
医者はほっとしたようにそう告げた。
「本当ですか? よかった……」
安堵する母。
でも、僕は……確かめられずにいられない。
「それで、僕は……何日間寝てたんですか?」
「ああ、それは……
 病院に運ばれてから、4日間。
 君は4日間眠りっぱなしだったんだよ」
4日間。
それは、僕の体験した……
『雅美の中』で過ごした日数と一致していた。
きっと、あの体験は本当で。
すると、おそらく雅美は……ようやく自分の体を取り戻して、
今頃、学校へ行っているのだろうか。

「それで、本当に、後遺症とかは無いんですよね?」
母は、それでも僕の体の心配をしていて……
「そうですね。外傷や症状は見られませんが……
 しばらくは安静にしておいた方がいいでしょう」
「そうですか。それなら、しばらく学校は休み……」
「あのな、母ちゃん。
 僕だったらこの通り元気だから、そんな過保護なことをするなよ」
「聞いてなかったの、蒼太。今症状が無くても……」
早速口げんかを始める親子を見て、先生は苦笑いをしながら。
「まあ、『激しい運動』とかは控えた方がいいかもしれませんが……
 日常生活を始められた方が、回復は早いと思いますよ」
そう、宣告した。

「ふぁああ~~~~よく寝た、感じがするなあ」
病院を出てしばらく歩くと、本当に自分の体がなまっていることを実感した。
流石に4日間まるまる寝ていたわけで。
きっと、筋肉も動き方を忘れ掛かっていたのだろう。
まったく、こっちはちゃんと雅美の体をちゃんとメンテしていたというのに。
……ちょっと余計なこともしてたけど。
「さて、これからどうしようかしらね。
 蒼太、お腹すかない?」
「あー、僕、これから学校行きたい」
僕は、漠然と感じていた、雅美に会いたい……という欲求から、
素直にそんなことを口にしていた。
「あのね、蒼太。
 いくらお医者様が日常生活をしろって言ったからって、
 今日は大人しくしてなさい」
「……はいはい。
 でも、腹減ったよ。4日間、何も食べてなかったんだよね?」
家に帰っても、食事の準備はしていない訳で。
久々に、外食を取ることになった。

5の3

しかし……
「なー、今日は安静にしておくって話じゃなかったのかよ」
「しょうがないでしょう。
 夕食の材料だって買ってなかったんだし、
 蒼太の分なんて無かったんだから。
 あ、これ持って」
結局その後、僕は夕食の買い物まで付き合わされて、
家に戻ってきたのはもう日が暮れる頃だった。
「(雅美に会いたかったのに……)」
まあ、明日からは普通に生活できるのだろう。
だから、明日には会いに行けるはずで。
だから、そんなに焦る必要もない筈なんだけど。
でも、暇なせいか何なのかよく分からないけど、
僕はずっと焦燥感に駆られっぱなしだった。
「もう、そんなに慌てなくても、これから夕食の支度するから。
 部屋で待ってなさい」
靴を脱ぎ散らかしたのを、そう勘違いしたらしく、
掛けられた声を聞きながら……僕は久々に自分の部屋に戻った。

「……ただいま」
当たり前なんだろうけど、そこは僕が……
いや、『雅美』が4日前に来たときのまま。
いや、あの状態から『蒼太』がいなくなっただけのまま。
人が入った気配もなく。
だから、少し胸にじんと来る物があった。
「帰って、きたんだ……」
布団に体を沈める。
雅美のベッドに比べて、別に安い訳でもないだろうけど、
でも、ちょっと硬い感じのする布団は、
それでいて、体になじんで……
「あ……眠い……」
ちょっとほっとしたからだろうか?
僕は、次の瞬間には意識を失っていた。

5の4

ブルル、ブルル……
「……ん、あ……」
机の上の物音に目を覚ます。
部屋に射していた夕日はすっかり暗くなっていて、
それはさながら……昨日の病室の情景を思わせた。
そして、かっと体を熱くさせる。
ただ、違うのは……
あの時は『雅美の体』であって、今は『蒼太の体』
ちょっと懐かしい、でも慣れ親しんだ、男特有の生理現象を感じていた。
「そっか、戻ったんだよな……」
ちょっと『溜まった感じ』がするあの感触。
だけど、その時のその感覚は……明確にある方向を向いていた。
「会いたいな、雅美……」
その意味につぶやいてから気づいて、はっとする。

ブルル、ブルル……
「あ、携帯」
また震えだした携帯に、逃げ場を見つけて、
僕はようやく机に手を伸ばした。
ピ。
From:雅美
Sub:まだ、戻ってない?
「あ……」
考えてみれば当たり前だけど、雅美からのメール。
スクロールすると、それは数件入っていた。
朝登校前。
昼、休み時間中。
そして、放課後、定期的に。
「くそ、携帯くらい持ってきてくれれば良かったのに」
無理な注文で母を責めてから、メールの中身を確認する。
でも、結局彼女も……同じだった。
『会いたい。
 戻ってきてるなら、連絡ください』

即電話を掛けようとして……ふと思いとどまった。
「『会いたい』……な」
なんか、電話越しに声を聞くのがイヤで……
それは、今まで自分が『雅美』だったからかも知れないし、
あるいはもっと衝動的な欲求だったかも知れない。
そして……おなかが鳴ったのに押されて。
少し文面を考えて。
雅美に返信を送った。
『今戻った。
 夜、会いに行くから……窓の鍵、開けておいて』

5の5

『夜』にしてしまったことで、雅美が来てしまう心配も
少し無くはなかったけど。
でも、そんなに心配はしていなかった。
思惑通りなら、あのメールを送っておけば。
雅美も納得して、窓を開けて待っているはずなのだ。

そして……少し時間を作ったことで、
僕はあまり考えてなかったあることに思いをはせる。
「雅美……なんで戻れたんだろう?」
契約が無効になるためには、処女を失くさないといけないはずだった。
だけど、僕は最後までそれを実行できなかったわけで。
もしかして、寝返りでも打ってそうなったのだろうか?
あるいは、凄い事件発生で寝てる間にレイプ……
「……それはないか」
普通に学校に行っているのだ。
その可能性はないだろう。
なら、どうして元に戻ったんだろう。
やっぱり……寝返りで事故的に、と考えるべきなんだろうか?
なんか拍子抜けするし……
というか、自分の逡巡や決断はなんだったんだろう?とも思う。
「まあ、いっか。元に戻れたんだから」
そう思っても消えない焦燥感が、
その問題がそんなに単純に解決していないことを示しているとは
全然気が付かなくて。
「でも、やっぱり……『初めての時には、僕がしたかった』、かな?」
だから、感じている苛立ちはそんな僕の期待が叶わなかったから、なのだと
その時は思いこんでいた。

結局、家を抜け出すのを夜にしたのは好判断だったようで。
母親は僕の行動をそれとなく監視しているようだった。
父親が帰宅して、みんなで食事をとっている間も。
僕の焦燥感は消えることが無くて、
そして、そんな落ち着きのない僕をずっと警戒しているようだった。
「ごちそうさま」
「蒼太。今日は早めに寝なさい」
そう言われて、従順な返事をしながら。
注意深く、玄関から靴を部屋に持ち込む。
「大丈夫かな……?」
布団に潜った振りをしていると、両親が確認に来た。
「蒼太、もう寝た?」
「ううん、これから寝るよ。おやすみ」
部屋の電気を消して、二人は自分達の寝室へと消えていく。
だから、もう……ばれることはないだろう。
物音を立てないように着替えて。
少しだけ考えてから……万一、大事にされたら大変なので。
『雅美に会ってきます。心配しないで』
と書き置きをして。
靴を片手に、窓から抜け出した。

5の6

「ふぅ……今日は冷えますな」
夜、と言ってもまだ早い時間帯。
だから人通りもまばらにあって。
その中を雅美の家へと急ぐ。
こうして、雅美の部屋に忍び込むのは何年ぶりだろう?

昔っから、こんな遊びをよくしていたのだ。
親がもう部屋に来ない頃合いを見計らって、
『これから会いに行くから……窓の鍵、開けておいて』
そんなメールをいきなり送りつけて押しかける。
小学校の移動教室の、異性の部屋に遊びに行くノリよろしく。
中学の頃、
見つかって雅美の親御さんにこっぴどく叱られてからしなくなったけど。
でも、今日は……あの頃と違う。
僕も遊びじゃなくて。
だから……

「雅美のおばさん……寝たかな?」
まだ起きてる気がする。
だから、物音を立てないように注意して。
二階によじ登るための木は……昔と変わらない場所にあって。
でも、葉っぱがよく茂っていて、
物音を立てないように登るのは大変そうだった。
「んっと……人は来ないかな?」
まず、周囲の気配を重々察知してから、塀を跳び越える。
カサッ……
「ふぅ……」
もう、さんざん慣れた動作。
だけど、中学だったあの頃までとは違う。
今、見つかればそれなりに洒落にならなくなるだろう。
「さてと……」
雅美の部屋の窓を見上げる。
鍵をはずせ、とは言ったけど、外からではそれは解らない。
もっとも、メールに返信は来なかったので……大丈夫なはずなんだけど。
でも、あれにしたってもう何年前になるんだろう?
さすがにちょっと不安になってくる。
「いや、ここは……雅美を信じよう、うん」
開いてることを祈りつつ、僕は気に足をかける。
ザザッ……
カサッ……
「……」
葉っぱの揺れたざわめきなんて、家の中には聞こえることはないだろう。
だけど、それがやけに大きく聞こえて。
「(……見つかりませんように……)」
枝に乗ると、僕の体重では大きくしなってしまう。
だから、素早く雅美の部屋の窓枠に……
ドンッ!
「……」
聞こえたかな?
ん、聞こえたかも。
だから、慌てて窓を開けようとすると……
ガラッ!!
「……!!」
その手が空を切って。
本当にその時はびっくりして、窓枠を掴んでいた手を離しそうになって……
でも、僕の上半身は抱きしめられて。
「……」
「……おかえり」
今、一番会いたかった人の胸に……僕は抱きしめられていた。


(つづく)
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